刺激

古い新しいに限らず

自分が他人の何かに触れる事で
それが契機となり
触発が引き起こされる

この触発こそが
人間の「その先」に対する
エネルギーであり

面白さだと思っている



でもそれよりも問題なのは
その触発に対し

どう噛み砕き
咀嚼し
自分の心でアプローチしていくか

であり

これを忙殺の日々
と云う
言い訳を用いて
自分なりの感覚やルールを
記憶に定着出来ないまま

有耶無耶に風化させてしまうのは
実に勿体無い話だ