似てる人に逢いたい願望

映画の学校に行っていた
という人と
たまたま話をする機会があった

その人の口から
という言葉が出た時は

なんだか嬉しくなってしまった

世の中には
それぞれ感じ方は違う
という事を圧倒的な前提として

感じる人感じない人が居る

似ている人似ていない人が居る

自分と同等か
それ以上の人にしか
理解出来ない領域というものが有る

そして
感性の近い人に出会う事は
殆ど  と言っていい程  無い

最近の自分の出来事の記憶に鑑みると
それが明確に繋がって
相対的に垣間見えた

似ている人に偶然会えた事

それだけで
勇気というか元気というか
自分のマイノリティーな気持ちが
光を浴びた気がしたのだ

それ程に
居るという事実が  実感が
嬉かったのだ

何処であれ
悪気が有ろうと無かろうと
主観の同調圧力は飛び交い
そして蔓延している

マジョリティーに囲まれた
マイノリティー

という図式の環境下で
大事にしてた気持ちを
大事にしようとするのも
容易な事ではない



誰も居ないんじゃないか

という錯覚に包囲されていると

少しバランスを崩しただけで
自分が擦り減って疲弊してしまう



自分にとって
つまらない大人とは何か

それを容赦無く
見定めて徹底的に
否定出来なければならない

だから改めて

他人の干渉を受けない領域を確保したい

自分の感じた事を大事にしたい

そう思えた日だった